「時間貧乏」とブランド信仰

2011.04.07

ブランド名を外にアピールしたい欲求は、手っ取り早い結果を求めるがために生まれるのだと私は思う。ここでいう「結果」とは、要するに帰属意識である。ブランド品を持つことができるリッチ層に属している、ブランド品も買えないような貧乏なグループではない、あるいは、ファッションに敏感なグループに属している。こうした帰属意識を満たすための効率的な方法がブランド名のアピールなのだ。どこかのグループに属しているとブランドで表現することが自己実現につながっているのだろう。この傾向はアメリカでも同様のようだ。アメリカ人ジャーナリスト、デリー・Iイギソスは書く。従来のファッションにおいてパワーと魅力の大きな源泉になっていたのは、独創的であること、ユニークでふだつと同じものがないということだった。(中略)しかし、そんなファッションは過去のものになった。新しいファッションで重要なのは帰属意識だ。気持ちが良く、美しく、そしてなによりも手の届く世界、すなわちライフスタイルに帰属しているという感覚である。この新しいファッションはアメリカンドリームに似て、どんな経済的現実に生きていようとかかおりなく、だれにでも手が届くように見えなくてはならない。(文蕪春秋社『ファッションデザイナー』二〇〇〇年)帰属意識に訴えるのが現在のファッションの手法であるなら、もともと帰属意識の強い日本人はイチコロだ。ブランドブームが起きないわけがない。海外の一流ブランド品の買い物は、一般的にリスクが少ない。だてに一流という評判を獲得しているわけではなく、品質が良く、作りがしっかりとしていて、機能性が優れているモノが多い。サソモトヤマの茂登山長市郎は力説する。「有名なブランドの製品を選べば、間違いは少ない。それだけの品質があります。だから、名前だけでブランド品を買うことは決して悪いことではないのです。持つことによって、良いモノのテイストがわかるようになってくる。ただ、今はモノを持てばいいという傾向が強くなっている気はしますね」確かなモノ、間違いのないモノを時間をかけずに求めようとした時、ブランド品はありがたい選択肢だ。失敗する可能性は少なく、リスクを回避できる。おまけに、他者からもブランドを持っている人だと認知してもらえて、帰属意識に浸れる。アーラーカルトで料理を選ぶのは面倒くさい、おすすめ定食を作ってもらったほうが助かるというのと同じで、選択肢が多いと悩むことは多いものだ。自分の価値観で選ぶと失敗することもある。選択に時間をあまりかけたくない、安全パイを求めたい人にとっては、評価の固まったブランド品はうってつけだ。手っ取り早い結果を求めるのは、消費者ばかりではない。ブランドの送り手側にもその傾向が強いのではないか。自分たちの手でIからブランドを育てようとせずに、海外から有名どころを持ってくることに明け暮れる、取引先への依存度が高く、売り場の自主編集能力を培うことができず、速攻で売上を上げるためにブランド頼みをする、むやみやたらとライセンスブランド品を増やす。こうしたビジネスもまた、即効性を求めたあげくの産物だ。ブランドビジネスからは、「時間貧乏」な日本人像が透けて見える。ブランドのコピー品に手を出す日本人が跡を絶だないのも、時間をかけずに「わかりやすさ」を追求する志向と無縁ではない。本物を持つことの喜びよりも、本物に見えるかどうかを重視する志向に、コピー品を作る業者がっけ込み、ブランド品の偽物が氾濫する。ブランドの伝統や世界を納得して購入していれば、偽物などに手を出すはずがない。Jピー商品がこれほどまでに氾濫しているのはブランド好きのアジアの国々だけである。