風景視覚のみでなく、聴覚や嗅覚や味覚に対する刺激量が増大していったのが20世紀末である。イヤホンやヘッドホンを用いてどこに行っても大音量を楽しむ若者や、これ見よがしにオーデコロンを競い合うご婦人や、激辛食品に中毒症状を見せる現代人もいる。街中がどんどん明るくなっていくと同時に、わかりやすく強い刺激を求めていったのだ。僅かなものや僅かなことに対する理解が欠けてくるのは当たり前のことである。日本的なるものの代表としてコンビニエンスストアを引き合いに出したが、日本の照明文化は過熱する商業施設が牽引していたと言える。店舗の室内空間がどんどん照度を上げていき、コンビニの照度(1000〜1500ルクス)をさらに超えるドラッグストア(2000〜3000ルクス)が出現し、街角のいたるところに煌々と輝く自販機が増殖を繰り返し、ネオンやLEDによる巨大な商業サインが繁華街の立面を埋め尽くす。まさかと思いきや、ハイセンスを売り物にしたブティックやIT関係のハイタッチな店舗でさえ、機能上は不必要な高照度と白い光でブランドイメージをつくることもある。商業施設がそうであったことに影響され、住宅照明も単に明るく影のない空間をつくり続けた。また、それに追い打ちをかけるようにして高輝度な大型のTVスクリーンが神棚のように鎮座し、仕事や勉強にも輝くコンピューター、さらに生活面では携帯電話などの発光する小物が必需品となった。もう私たちの身の回りは刺激的な光、増幅された光に埋め尽くされてしまっている。